絵画が変わることで、コミュニティが生まれる
サラリーマン時代、全くの絵画の素人だった私が病院や事業所などに飾られている絵を見て不自然に想っていたことがありました。
それは一度飾った絵は、「同じ場所にずーと飾りっぱなし」だと感じていました。
立派な絵も飾りっぱなしだと飽きてしまい、いつの日か風景化してしまいます。
そこで、絵画が変われば、人の気持ちが変わったり、四季の変化を感じたりして、「人とのコミュニティが生まれるのではないか」と考え、絵画レンタルを主軸に起業しました。
2012年に絵届け問屋「kousuke」で起業し、福岡県を中心に絵画レンタルで絵を飾らせて頂いています。現在は郵送を使用したレンタルも行っており、全国に広がってきました。
障がいのある弟と共に生きる
私が起業を決意したのは、2002年の福岡市美術館で開催された「ナイーブな絵画展」の時です。当時、私は28歳でサラリーマンでした。
私の弟である太田宏介は、知的障害を伴う自閉症です。10歳の時から絵を描き始め、指導者に恵まれ、両親が毎年個展を開催していました。
「ナイーブな絵画展」は、ルソー・ピカソ・山下清など世界の癒し系画家の70%の作品を集めた、大規模な絵画展でした。その絵画展で太田宏介の作品が、福岡県の新進作家として2点飾られました。
その2点の横は、草間彌生さんの作品でした。当時、まったく絵に興味がなかった私ですが、草間彌生さんの前には、長蛇の列が出来ていました。その隣にある太田宏介の作品も、「可愛い」「色使いがいい」などの声があがり、それを聞いた私は、「弟は将来、画家になる」と確信しました。
私は、太田宏介の作品で起業を考えました。ただ、絵の知識も財力もなかったので、サラリーマンをしながら、絵の勉強と貯金をし、その間に結婚をし、37歳で脱サラ・開業をしました。
太田宏介の絵画を通じて皆さんに元気を伝えたい
かつてサラリーマンをしていた私は、パチンコ店に務め店長を任されていました。売上額が大きいため、責任も重大。たくさんの社員・パート、そしてお客様との人間関係に揉まれ、大きなプレッシャーを感じながら日々働いていました。
そんな中、たまに実家に帰ると、弟の絵がたくさん飾ってあり、見ていると、自然と涙が出てきました。弟は自由にのびのびと絵を描き、その中に温かさを感じて、「また、頑張ろう」と思える私がいました。
太田宏介の作品は色彩豊かで、固定概念にとらわれない彼のスタイルは、絵を通じて元気や勇気をお伝え出来ると確信しています。
ギャラリー宏介株式会社
代表 太田信介